2015-12-30 16:51:00

イエスの幼年期の観想へと招く、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで12月30日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

今年最後の一般謁見で、教皇は「いつくしみの聖年における降誕祭」をテーマに講話された。

クリスマスにプレゼピオ(イエスの降誕の場面を再現した馬小屋の模型)を作った家庭は多いでしょうと教皇は述べつつ、幼子イエスに対する人々の崇敬、特に多くの聖人たちの幼子イエスに結びついた祈りと霊性を指摘。中でもカルメル会修道女・教会博士である、幼いイエスの聖テレジア(リジューのテレーズ)の「霊的幼児の道」を思い起こされた。

人となられた神の御子、イエス・キリストの幼児・少年時代は、わたしたちの信仰にとって特別な意味を持つものであり、キリストの十字架上の死と復活が贖い主としての愛の最高の表現であるとしても、イエスの地上の生涯全体が啓示であり、教えであることを忘れてはならないと教皇は話された。

教皇は、わたしたちが信仰のうちに成長するためには、しばしばイエスの幼年期を観想する必要があるとしながらも、イエスの子ども時代についての福音書の記述はそれほど多くはなく、それらは、生後八日にイエスと名づけられたこと、その後神殿で捧げられたこと (ルカ2,21-28)、東方の学者たちの訪問と、それに続くエジプトへの逃避(マタイ2,1-23)、12歳の時にマリアとヨセフと共にエルサレムに巡礼した際のことなどであると指摘された。

このようにイエスの幼年期についてわたしたちは多くを知らないが、子どもたちの生活を観察することで、幼子イエスから多くを学ぶことができると教皇は述べられた。

子どもたちは自分たちへの関心を求め、守られていることを感じる必要がある。教皇は、わたしたちもまた幼子イエスを生活の中心に据えて守る責任、さらに幼子イエスがわたしたちと共にいるという喜びと愛を伝え、幼子を微笑ませる必要があると話された。

また、子どもたちは遊ぶことが好きだが、子どもたちを遊ばせるには、自分の論理を捨てて彼らの世界に入っていかなければならない。教皇は、幼子イエスの前でも、わたしたちは自分は自身の思い通りにできるという思いを捨て、真の自由を受け入れるよう招かれていると説かれた。

「幼子イエスは、わたしたちを救いに来られた神の御子、わたしたちに愛といつくしみに満ちた御父の御顔を示してくださる方です」と述べた教皇は、「わたしたちも愛と平安の源である幼子イエスを腕に抱き、イエスにお仕えしていきましょう」と呼びかけられた。

 

 








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