12月26日の聖ステファノの祝日、教皇フランシスコは、バチカンに集った巡礼者と正午の祈りを唱えられた。
カトリック教会の典礼暦は、主の降誕の翌日、最初の殉教者、聖ステファノを記念する。
教皇は集いの説教で、「前日の降誕祭、わたしたちは救い主の誕生を祝ったが、今日、聖ステファノの日に当たり、イエスの忠実なる証し人の天における誕生を見る」と話された。
聖ステファノが人々からの石打ちによって殉教した際、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」とひざまずいて叫び、神に赦しを請うたことは(使徒言行録7,60)、十字架につけられた時、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23,34)と言ったイエスに、聖ステファノを近づけるものと教皇は指摘。
殉教者とは「証人」を意味するが、実際、真の証人はイエスのように生き、イエスのように愛し、与え、そして何よりも赦すことを知っていると述べられた。
赦すことが一体何になるのか、それは単なる良い行いに過ぎないのかと教皇は問いながら、その答えをステファノの殉教の中に探すよう招かれた。
聖ステファノが神にその赦しを願った迫害者の中に、サウロという若者がいた。そのサウロは、後に偉大な宣教者、聖パウロとなる。
パウロは、神の恵みと、ステファノの赦しによって誕生したと述べた教皇は、わたしたちもまた神の赦しの中から生まれ、洗礼の時だけでなく、神からいつも赦されるたびに、わたしたちの心は新たにされると説かれた。
人を赦すことは確かに難しいことであるが、聖ステファノのように祈り、自分を傷つけた人を神のいつくしみに託すことが大切と教皇は話し、御父のようにわたしたちもまたいつくしみ深い者となり、赦しを通して、善をもって悪に打ち勝ち、憎しみを愛に変え、世の中をより良くしていこうと呼びかけられた。
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