2015-12-25 14:22:00

主の降誕2015:教皇フランシスコのメッセージと祝福「ウルビ・エト・オルビ」


主の降誕の大祝日を迎えた12月25日、教皇フランシスコは、ローマと全世界に向けたメッセージと祝福、「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。

この日のローマは青空が広がり、例年より温かいクリスマスとなった。

24日の主の降誕の深夜ミサに続き、教皇は降誕祭当日の正午、バチカンの聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから、メッセージを読み上げ、祝福をおくられた。

教皇の2015年度のクリスマス・メッセージは以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、クリスマスおめでとうございます!
キリストはわたしたちのためにお生まれになりました。わたしたちの救いの日において大いに喜びましょう!

わたしたちの心を開き、この日の恵み、すなわちイエス御自身を受け取りましょう。イエスは人類の地平線に上った「輝ける日」です。それはいつくしみの日、神なる御父が人類にその無限の優しさを啓示された日です。日の光は、恐れと苦悩の闇を追い払います。それは平和の日、そこでは出会いと、対話、和解が可能です。それは喜びの日、その喜びとは、小さき者、慎ましき人々、民全体に与えられる「大きな喜び」です (ルカ 2,10)。

この日、おとめマリアから、救い主イエスが生まれました。プレゼピオは神がわたしたちに与えられた「しるし」を見せてくれます。それは「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」です(ルカ2,12)。

ベツレヘムの羊飼いたちのように、わたしたちもこのしるしを見に行きましょう。それは教会が毎年記念する出来事です。降誕祭は、イエス・キリストにおいて肉となった神の愛を受け入れるすべての家庭・小教区・共同体が毎年新たにする出来事です。

マリアのように、教会は神の「しるし」をすべての人に示します。マリアの胎に宿り、生まれた子は、いと高き神の御子、「聖霊によって宿った」方です(マタイ1,20)。それゆえに、イエスは救い主、世の罪を取り除く神の子羊なのです (ヨハネ 1,29)。羊飼いたちと一緒に、神の子羊の前に身を低くし、人となられた神の優しさを礼拝しましょう。そして、悔い改めの涙がわたしたちの目にあふれ、わたしたちの心を洗うがままにしましょう。

イエスだけが、イエスのみがわたしたちを救うことができるのです。神のいつくしみだけが人類を様々な形の、時には恐ろしいほどの悪やエゴイズムから解放することができるのです。神の恵みが心を改めさせ、人間の力では解決できない状況に出口を見出させてくれるのです。

神がお生まれになったところに、希望が生まれます。神がお生まれになったところに、平和が生まれます。そして平和が生まれたところには、憎しみと戦争のための場所はもうありません。それにも関わらず、神の御子が人となってこの世に来られた場所で、緊張と暴力が続き、平和は祈り構築するべきものとなっています。イスラエルとパレスチナが直接対話を再開することで、双方の人民が調和のうちに共存し、中東地域に重大な影響をもたらした長い闘争を克服するための合意にたどりつくことができますように。

国連のもとでなされた合意が、シリアの武力紛争の一刻も早い終結と、極限まで苦しむ市民の過酷な人道的状況の緩和につながるよう主に願いましょう。

同様に、リビアでは、国内の合意が皆の支持を得て、同国を苦しめる深い分裂と暴力を乗り越えることが急務とされています。イラクや、イエメン、サブサハラ・アフリカ地帯の暴力を止めるよう、国際社会の関心が一致しますように。そこでは、多くの人命が失われ、人々は重く苦しみ、人民全体のものである歴史・文化遺産さえも破壊されています。

わたしの思いはテロ行為に傷つけられた人々、特に最近大きな悲劇に見舞われたエジプト、ベイルート、パリ、バマコ(マリ共和国)、チュニジアの人々に向かいます。

世界の様々な地域で信仰のために迫害されるわたしたちの兄弟たちに、幼子イエスが慰めと力を与えてくださいますように。

コンゴ民主共和国、ブルンジ、南スーダンの国民のために調和と平和を祈りましょう。対話を通して、誠実な和解と相互理解の精神に基づく、秩序ある社会の構築のため、皆がよりいっそうの努力をすることができますように。

主の降誕がウクライナにも真の平和をもたらしますように。そして紛争が与えた人々の苦しみを和らげ、国全体に調和を再構築するため、締結された合意の遂行を励ましてくれますように。

この日の喜びが、コロンビア国民の努力を照らしてくれますように。同国民が希望に勇気付けられ、望まれる平和のための努力を続けていくことができますように。

神がお生まれになったところに、希望が生まれます。希望が生まれたところでは、人々は尊厳を再び見出します。しかしながら、今日もなお、多くの人々が人間としての尊厳を取り上げられています。幼子イエスのように、寒さや、貧しさ、人々の拒絶に苦しんでいます。

今日、わたしたちが最も無防備な人々、特に子ども兵士、暴力を受ける女性たち、人身売買や麻薬の犠牲者たちに寄添うことができますように。

貧困や戦争から逃れ、多くの場合、非人間的な状況で、命の危険を冒しながら旅をする人々にわたしたちの慰めが欠けることがありませんように。多くの移民・難民を寛大に救助し、受け入れ、彼らが自身と家族のために尊厳ある未来を築き、現地の社会に溶け込むことを助ける人々・国々に豊かな祝福がありますように。

この祝いの日、主が仕事の無い人々に希望を再び与え、政治・経済界で公的な責任を負う人々の、共通善を追求し、すべての人の尊厳を守る努力を支えてくださいますように。

神がお生まれになったところに、いつくしみが花開きます。それは、神がわたしたちにくださる、最も尊い贈り物です。特にこのいつくしみの聖年にあたり、わたしたちは天の御父がわたしたち一人ひとりに示してくださる優しさを発見するようにと招かれています。

主が特に受刑者たちに、傷を癒し、悪に打ち勝たせるそのいつくしみの愛を体験させてくださいますように。

こうして今日、わたしたちは、救いの日を喜び祝います。プレゼピオを観想し、両腕を広げた幼子イエスを見つめながら、そこに神のいつくしみの抱擁を見出しましょう。そして、幼子の泣き声がわたしたちにささやくのを聞きましょう。「わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」 (詩編122,8)。

 

 








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