2015-09-01 15:02:00

「いつくしみの特別聖年」の免償についての教皇書簡


教皇フランシスコは、「いつくしみの特別聖年」における免償について記した書簡を発表された。

「いつくしみの特別聖年」は、今年12月8日「無原罪の聖母」の大祝日から、来年11月20日「王であるキリスト」の大祝日まで開催される。

教皇は、いつくしみの特別聖年の準備・運営に携わる教皇庁新福音化推進評議会の議長、サルバトーレ・フィジケッラ大司教に宛てた書簡で、同聖年を通して信者に与えられる免償について言及。

来たる特別聖年がすべての信者にとって神のいつくしみとの真の出会いの時となるよう、いくつかの重要な点を示したいとしつつ、この聖年における免償の具体的なあり方について述べている。

免償とは、「ゆるしの秘跡」を受けて、すでに赦された罪に伴う、有限の罰の免除をいう。

教皇は書簡の中で、まずこの聖年の恵みに与る各教区の信者、あるいはローマを訪れる巡礼者に向け、聖年の免償が神のいつくしみの純粋な体験として一人ひとりに届くことを願っている。

免償を得るために、真の回心を深く望んでいるしるしとして「聖年の扉」に向けて短い巡礼を行なうよう、教皇は信者らを招いている。聖年の扉は、各教区の司教座聖堂または司教が指定する教会、ローマの教皇付属の4つの大聖堂、さらに巡礼聖堂や聖年の免償の伝統を持つ教会に設けられている。

この時、神のいつくしみについての深い思いと共に、ゆるしの秘跡、ミサに与ることが重要である。さらに、これらの秘跡に加えて、信仰宣言を唱え、教皇のため、また教会と世界の善を願う教皇の意向のために祈らなければならない。

次に、諸般の事情のために「聖年の扉」に赴くことができない人々として、教皇は病者や高齢で一人暮らしの人などに心を寄せている。主はその受難と死と復活の神秘を通して、苦しみと孤独に意味を与える道を示しておられ、病気や苦しみを生きることは、主に近づく体験として大きな助けになるだろうと教皇は述べている。

これらの人々にとっては、試練の時にあっても信仰と喜びをもって生き、聖体拝領をする、または、ミサや共同体の祈りに実際にもしくは様々なメディアを通して参加することが、聖年の免償を受ける方法となる。

さらに、教皇は受刑者に思いを向け、赦しを最も必要とする者に寄り添う神のいつくしみが、これらのすべての人々に届くようを望んでいる。受刑者は、刑務所の礼拝堂で免償を受けることができ、自室の扉をくぐるたびに、御父を思い、御父に祈ることは、彼らにとって聖年の門をくぐることと同じ意味を持つと教皇は記している。

また教皇は、教会全体に向け、聖年中、物理的・精神的ないつくしみの業を行なうことを奨励。信者がこれらの業を行なう時、聖年の免償が得られるとしている。

聖年の免償は亡くなった人々のためにも得られることに教皇は触れ、ミサの中で故人らを思い起こし、いつくしみ深い御父が彼らを残った罪から解放し、永遠の至福のうちに彼らをご自分に引き寄せてくださるよう、聖徒の交わりの偉大な神秘において祈ることができると説明している。

教皇はこの書簡の後半、特に妊娠中絶をした女性たちについて述べている。堕胎の悲劇において、ある人々は犯した悪の重大さにも気づかない一方で、堕胎の選択をしたことに対して深い傷を心に負い、今も苦しんでいる人たちが多くいると、教皇は指摘。

すでに起きてしまったことは深く間違っているが、真理においてそれを理解するだけでも、希望につながるのであり、神の赦しは、特に真摯な心でゆるしの秘跡に与り、御父との和解を求めるすべての痛悔者に与えられるものであると強調している。

こうした理由により、堕胎の罪を犯したが、心から悔悛して赦しを願う者に対し、罪の赦しを与える権限を、この聖年の間すべての司祭に許可する旨を教皇は記された。

そして、司祭たちはこの重大な任務に対し、告解する人を心を込めた言葉で受け入れ、犯した罪についての理解を助ける考察と共に、その存在をもってすべてを新たにされる御父の真の寛大な赦しにたどりつくために、正真の回心への道のりを示すことができるよう、そのための準備を励まされている。

カトリック倫理において、堕胎は大罪とされ、通常、その罪に対しては、司教、または司教がその権限を託し任命した司祭だけが赦しを与えることができる。このいつくしみの特別聖年においてすべての人が恩恵を受けられるよう願われる教皇は、特別な準備を奨励した上で、聖年中、すべての聴罪司祭らにこの権限を認可された。

 

 








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