2015-08-26 12:45:00

家庭の中の祈りについて考える、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、8月26日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見で、家庭をテーマにしたカテケーシス(教会の教えの解説)を続けられる教皇は、この日は家庭生活の大切なひと時である「祈りの時間」について考察された。

「もっと祈りたいが、時間がない」という信者たちの悩みを真摯なものとして教皇は理解を示しながら、常に祈りを求め、祈りなしでは平和を得られない人間の心を指摘された。

神を心から信仰し、神の助けを知り、感謝の必要を感じるとしても、主を少しでも愛したいと思っていますかと教皇は問い、「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記 6,5、参考マタイ22,37)という、すべてに代わるこの偉大な掟の中にこそ、祈りの精神が住んでいると話された。

神に対する愛情が燃え上がらないのならば、祈りの時にその精神も熱くならないと教皇は強調。

神への愛が住んでいる心は、祈りに、言葉のない思い、聖なる像の前での呼びかけ、教会に向けての接吻などの形をとらせることがあると述べつつ、母親が小さな子どもにイエスと聖母に接吻をおくることを教える時、この瞬間、子どもの心は祈りの場となると話された。

聖霊がわたしたち一人ひとりに、神に向かって「アッバ、父よ」と呼びかけることの恵みを与えてくださるようにと教皇は祈りつつ、この聖霊の恵みを家庭の中で願い、大切にするよう招かれた。

教皇は家庭を持つ人々の忙しさを思いやる一方で、祈りの精神は、時間が足りないという強迫観念から抜け出させ、時間を神に返すことで、平和を取り戻し、思いがけない恵みの喜びを与えてくれると指摘された。

そのためにも福音書のマルタとマリアのエピソードを思い起こし、祝祭の素晴らしさ、労働が与える落ち着き、祈りの精神といった、家庭のリズムの調和を神から学んで欲しいと教皇は信者らに願われた。

 








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