2015-07-07 18:49:00

エクアドル:教皇、キトでミサ「すべての人を一つに」イエスの叫びに応える


教皇フランシスコは、7月7日、エクアドルの首都キトで市民参加のミサをとり行われた。

5日午後から始まったエクアドル訪問も、この日で3日目を迎えた。教皇ミサの会場となったビセンテナリオ公園(独立200年記念公園)は、キトの旧空港があった場所で、1985年、教皇ヨハネ・パウロ2世のエクアドル訪問の際は、この空港を使用した。2013年、新空港への移行と共に再整備され、現在は多目的公園となっている。

公園には、教皇ミサに参加する人の波が続き、その数は約150万人と推定された。祭壇を設けた舞台のまわりはおよそ10万本のバラの花で飾られ、沿道の人々は花びらをまいて教皇を歓迎した。

前日グアヤキルでのミサが家庭のために捧げられたものであるのに対し、教皇はこの日のミサを宣教のために捧げられた。

このミサで教皇は、「父よ、すべての人を一つにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります」(参考:ヨハネ17,21)というイエスの言葉をテーマに、説教を行われた。

「世が信じるために、わたしたちが一致を生きるようと招くこのイエスの叫びは、アメリカ大陸スペイン語圏の独立200周年の叫びと共に、この公園に響いています」と述べた教皇は、その独立の叫びは、時代の権力に搾取された人々の、自由の欠如への認識から生まれた叫びであったと話された。

教皇は、今日この2つの叫びが、福音宣教への力強い挑戦において調和することを望まれた。そして、その調和とは、物々しい言葉によってではなく、イエスと出会う人々の心にあふれる「福音の喜び」から生まれるものであると述べられた。

皆が一つになるようにとのイエスの叫びは、「わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました」(ヨハネ 17,18)という派遣の言葉を背景にしていると教皇は指摘。

わたしたちは戦争と暴力に引き裂かれた世界に生きていることを日常的に感じるが、分裂と憎しみが国や社会グループ間の緊張によるものと考えるのは表面的にすぎ、それは実際は人と人とを分け隔てる個人主義の蔓延、人の心の傷の結果であると教皇は説かれた。

イエスはまさにこのような世界にわたしたちを遣わすのであり、わたしたちの挑戦と答えは、何も無い振りをすることではなく、イエスの叫びに共鳴しながら、その恵みと、一致の課題を受け取ることであると、教皇は呼びかけられた。

「わたしたちが互いに助け合い、慰め合い、寄り添う姿をすべての人々が感嘆して見ることができるならばどんなに素晴らしいでしょうか」

「人は自分を与えながら、神の子としての、御父に似た者としての自分を再び見い出します。そして、命の与え手である神と一致し、イエスの兄弟として、イエスを証しするのです」

「これが宣教です。これがわたしたちの革命です。なぜならわたしたちの信仰は常に革命的だからです。これがわたしたちが常に持っている最も深い叫びなのです」

教皇はこのように述べ、すべての人々を一つにというイエスの叫びに応えながら、信仰における一致、そして社会の一致を目指すよう励まされた。

 








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