2015-06-24 14:27:00

「傷ついた家庭」をテーマに、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで6月24日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、家庭をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、この日、教皇は「傷ついた家庭」をテーマに講話された。

家族間の親密な愛情が、その一員の言動によって傷つけられ、それが癒されないままに放置される時、その傷は深いものとなり、やがては横暴や、敵意、軽蔑といった形をとることになると、教皇は家族間の亀裂の根源を見つめられた。

深い亀裂は夫婦を分裂させ、他の場所に理解や、支え、慰めを求めるようになり、夫婦間の愛が虚しくなる時、そこに怒りや恨みが広がり、その崩壊の重みは子どもたちの背にのし掛かることになると話された。

「わたしたちは自分が繊細だと思っていても、子どもたちの魂の傷をどれだけ感じることができるだろうか。そもそも魂に刻まれた傷とは何だか知っているのだろうか」と教皇は問い、傷つけ合う家族、夫婦の忠実な絆が切れてしまった両親が子どもに与える重荷で、子どもの心は苦しみ、絶望し、その傷は一生残ることになるだろうと教皇は忠告された。

「家族は皆が一緒に結ばれているだけに、その一部が傷つくと、それは全体に感染してしまう」

「互いに一体となり、家族を形成するよう努力すべき男女が、自分の自由や慰めだけをひたすら要求していれば、この歪みは子どもたちの心と生活に深い傷を刻むだろう」

教皇はこのように話し、子どもに対する両親の責任を強調された。

一方で、教皇は、離れて暮らすことが避けがたいケースがあるのも確かであるとし、特により弱い立場にある配偶者、小さな子どもたちを、横暴や、暴力、堕落、搾取、無関心による傷から守るために、別居が倫理的に必要な時があると指摘された。

一見、不可能に見える状態においても、信仰と子どもたちへの愛に支えられて、信念をもって互いの忠実を証しし続ける夫婦たちがいることは幸いであると教皇は述べつつも、すべての別居者たちがこの召し出しを感じ、孤独の中で彼らに向けられた主の声に耳を傾けることができるわけではないと話された。

わたしたちの周りには、いわゆる「ばらばらな」状況に置かれた家族が見られるが、それは「彼らをどうやって支えるか、彼らにどのように寄添えるか」という問題を提起していると述べた教皇は、現実を神の視点をもって見ることができる大きな信仰を主に祈りましょうと皆を招かれた。








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