2015-04-15 16:59:00

「互いに補完し合う男性と女性のあり方」教皇、一般謁見で


教皇フランシスコは、バチカンで4月15日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

4月半ばのローマは気温も上がり、早くも初夏を思わせる陽気となった。

家庭をテーマにしたシノドスの開催を10月に控え、教皇は現在、家庭をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)を謁見の中で行なっている。この日は「男性と女性」をテーマに講話された。

教皇は、男性と女性の創造と婚姻の秘跡を、神が人類に与えた大きな恵みとして示しながら、男性と女性の異なりながらも互いに補完し合う関係について考えられた。

「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1,27)。

神が男と女をご自分にかたどって造られたことは、創世記(1,26-27)に3度も繰り返されていると教皇は指摘。この中で神はご自分に似た者として、男だけ、女だけではなく、男女を一対として扱われていることに注目された。

男女の差異は互いに対立するものでも、従属関係にあるものでもなく、一致と生み増やすために神が造られたものと教皇は説き、人類が調和をもって成長するには、男女の相互性が必要であり、男女は互いに耳を傾け、助け合うように造られていると話された。

今日の文化は、男女の違いについて自由に開いた議論を可能にしたが、同時に多くの疑念をも生じさせることになったと述べつつ、ジェンダー問題について、「性による差異を撤去することは、問題ではあるが、解決ではない。男女がより対話し、お互いを知り、尊重と友情をもって一層大切にし合い、協力し合うことが解決への道ではないか」と提言された。

神は地を男と女に託されたゆえに、男女間の亀裂は愛情の世界を枯渇させ、希望を曇らせるものと教皇は話し、男女の相互性を強めるには、イエスがそうしたように、女性に耳を傾け、その声を尊重し、社会や教会の中でその権威を認めることと強調。

また、教皇は創世記の中でアダムとエバが原罪のためにエデンの園から追い出された出来事を思い起こしながら、神との一致は、人間の男女間の一致ともつながるものであり、神における信頼の喪失が、男女間の分裂や争いを生むことになると話された。








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