2015-04-15 14:16:00

トゥッチ枢機卿逝去、神学者、ジャーナリストなど多彩な活動


イタリア出身で、イエズス会士のロベルト・トゥッチ枢機卿が、14日午後、ローマで逝去した。数日後に94歳の誕生日を迎えることになっていた。

トゥッチ枢機卿は、1921年4月19日、ナポリに、イタリア人の父と英国人で聖公会の信者の母のもとに生まれた。

15歳でイエズス会の志願院に入った。哲学と神学を修め、1950年、司祭叙階。ローマの教皇庁立グレゴリアン大学で神学博士号を得た後、ナポリの神学院で教鞭を取った。

1956年より、カトリック誌「ラ・チヴィルタ・カトリカ」に執筆を始め、3年後、編集長となった。

トゥッチ神父は、第2バチカン公会議に「専門家」として出席し、「信徒使徒職に関する教令」などの起草に参加したほか、連日、バチカン広報室において記者会見を受け持った。

1973年から1989年まで、教皇庁キリスト教一致推進評議会の顧問として、エキュメニズムのために神学者、ジャーナリスト、修道者の立場から様々な貢献をした。

1973年にバチカン放送局に入局し、長年に渡り総局長を務めた。最新技術の導入、新しい課の創設など、「教皇の放送局」としての情報の質の向上に尽力した。

トゥッチ神父は、バチカン放送局総局長として教皇ヨハネ・パウロ2世の海外司牧訪問に随行すると共に、同教皇の数多い海外訪問の企画準備を受け持った。

2001年、トゥッチ神父は教皇ヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命された。

教皇フランシスコは、トゥッチ枢機卿の訃報を受け、イエズス会総長アドルフォ・ニコラス神父に弔電をおくられた。

この中で、教皇はご自身と同じイエズス会会員であるトゥッチ枢機卿の、「長年にわたる教皇庁への貴重な奉仕、その活発でダイナミックな生き方」を振り返られた。

「自らの召命に言動一致と寛大さをもって応え、人々の必要に関心を払い、福音と教会、そして聖イグナチオの模範に忠実な司牧者であった」トゥッチ枢機卿を思い起こし、冥福を心から祈られた。

 








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