2015-04-12 15:30:00

「人間の歴史の深淵を埋めるのは、イエスのいつくしみの愛」教皇、アルメニア殉教100年に


「神のいつくしみの主日」を迎えた4月12日、教皇フランシスコはバチカンでミサを捧げられた。

カトリックの典礼暦で、復活祭の翌週の日曜日(復活節第2主日)は、「神のいつくしみの主日」を記念する。

このミサで教皇は、アルメニア人の大量殺害から100年を思い起こすと共に、10世紀のアルメニアの修道司祭、ナレクの聖グレゴリオを「教会博士」として宣言された。

教皇とアルメニアのカトリック総主教ネルセス・ベドロス19世の共同司式で行なわれたこのミサには、アルメニア使徒教会の全アルメニアのカトリコス・ガレキン2世、キリキアのカトリコス・アラム1世も参列した。

教皇は説教で、ミサ中朗読されたヨハネ福音書 (20,19-31)を取り上げられた。

この箇所では、イエスが復活した日の夜、弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」と言い、手とわき腹をお見せになった出来事が語られる。トマスはその時いなかったために、他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」というのを聞いても、イエスの手の釘の跡を見、指をその跡に入れ、手をわき腹に入れて見なければ自分は決して信じないと言った。8日後にイエスは再び皆の前に立ち、トマスに、指を当ててその手を見、手を伸ばしてそのわき腹に入れるようにと招き、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われた。

今日、福音を通して主はわたしたちにもその傷を示してくださると教皇は述べ、わたしたちを癒すのはまさにこの「イエスのいつくしみの傷」であると強調された。

イエスはご自身の傷を示され、トマスに言われたように、それに触れなさいとわたしたちをも招きながら、それを通してわたしたちが不信から立ち直るよう、そしてイエスの傷の神秘、そのいつくしみ深い愛の神秘の中に入っていくよう願われていると教皇は説かれた。

歴史上の悲劇的な出来事を前に、わたしたちは時にそれに押しつぶされ、「なぜこのようなことが?」と問うことがあると、人類の歴史を振り返られた教皇は、人間の悪は世界に巨大な深淵、愛や善や命の無い虚無の世界を生み出してしまうと話された。

わたしたちの心、わたしたちの歴史の中に悪が生み出したこの深淵をどうしたら埋めることができるのか、わたしたちには不可能でも、神だけには可能であると教皇は述べ、人となられ、十字架上で死んだ主イエスこそ、罪の深淵を、そのいつくしみの深さで満たしてくださると、皆に語りかけた。

ミサ中、教皇はナレクの聖グレゴリオ(950頃-1005頃)を「教会博士」として宣言された。

聖グレゴリオは、アルメニアに生まれ、司祭叙階後、修道院の院長として、愛徳ある修道生活をおくった。優れた神学者であると同時に、アルメニア文学における最も重要な詩人の一人として認められている。1005年頃、ナレクで帰天した。

教皇はこの日、「アルメニア人へのメッセージ」を、ガレキン2世らに手渡された。

アルメニア人に向けたメッセージで教皇は、2001年、エチミアジンにおけるヨハネ・パウロ2世とガレキン2世の共同宣言の言葉を引用。「あの恐ろしい殺戮から100年、それはあなたがたの民族にとって真の殉教でした。そこでは多くの無実の人々がキリストの名のもとに証聖者そして殉教者として亡くなりました」、それは「20世紀の最初の集団殺戮と一般に見なされています」と記された。

また、教皇はこの機会に、民族や宗教の違いを口実にした、不当な暴力に発展しがちな各種の紛争に、曖昧や妥協に陥ることなく、確固たる責任を持って反対するよう、各国の首脳や国際組織にアピールされている。

教皇はアルメニアとトルコの和解の歩みを促すと共に、ナゴルノ・カラバフにおいても平和が樹立されるようにと希望された。

 








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