2015-04-05 14:20:00

復活祭2015:教皇フランシスコのウルビ・エト・オルビ


カトリック教会の典礼暦は、4月5日(日)、2015年度の復活祭を祝った。

4日夜、復活徹夜祭をバチカンの聖ペトロ大聖堂で捧げられた教皇フランシスコは、翌5日、復活の大祝日の朝のミサを聖ペトロ広場で捧げられた。

復活祭を迎えたローマは、あいにくの雨模様となったが、バチカン周辺は世界各国の巡礼者であふれ、オランダから寄贈された大聖堂前の春の花壇が明るい色彩を放っていた。

復活祭の朝のミサに続き、正午、教皇は大聖堂の中央バルコニーから、ローマと世界に向けてのメッセージと祝福、「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。

教皇フランシスコの2015年度復活祭メッセージは以下のとおり。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

イエス・キリストは復活されました!愛は憎しみに打ち勝ち、命は死に勝利し、光は闇を追い払いました!イエス・キリストは、わたしたちへの愛のために、神である栄光を脱ぎ捨て、ご自分を無にされ、しもべの身分となり、死に至るまで、十字架上の死に至るまで、へりくだりました。そのために、神はイエスを上げられ、天地の主とされました。イエスは主です!

イエスはその死と復活をもって、すべての人に命と幸福の道を示してくださいます。その道とは、自分を低くする、謙遜です。これが栄光に導く道です。ただ自分を低くすることによってのみ、「上にあるもの」、すなわち神の方に (コロサイ3,1-4)行くことができるのです。高慢は「上から下」を見下ろし、謙遜は「下から上」を見上げます。

復活の朝、婦人たちの知らせを受けて、ペトロとヨハネは墓に向かって走り、それが開き、空になっているのを見つけました。そこで、彼らは近づき、墓に入るために身をかがめました。神秘の中に入るには、「身をかがめる」、身を低くすることが必要です。身を低くする者だけが、イエスが栄光に高められたことを理解し、イエスの道を従うことができるのです。

世の中は、無理やり自分を押し付け、競争し、自分を大きく見せることを勧めます。しかし、死に、復活したキリストの恵みによって、キリスト者は別の人類の芽生えとなりました。そこでわたしたちは互いに仕え合い、傲慢になることなく、快く自分を差し出し、他人を尊重します。

これは弱さではなく、真の強さなのです!神の力、愛、正義を内に秘める者は、暴力を用いる必要はありません。真理と美と愛の力をもって、話し、行動します。

復活の主に、暴力や戦争を生み出す傲慢に陥ることなく、赦しと平和の謙遜な勇気を持つ恵みを願いましょう。勝利のイエスに、イエスの名のゆえに迫害されるわたしたちの多くの兄弟姉妹たち、また現在進行している紛争と暴力のために不当な苦しみを受けているすべての人々の苦痛を和らげてくれるよう求めましょう。

平和を特にシリアとイラクに願いましょう。武器の響きを止め、これらの愛する国を構成しているすべての共同体間の良好な共存を再び得ることができますように。国際社会がこれらの国々で拡大する人道的悲劇と、多くの難民の苦悩を前に動かないということがありませんように。

平和を聖地のすべての住民のために祈りましょう。イスラエルとパレスチナ間に出会いの文化が育ち、和平交渉を再開させ、長い年月の苦しみと分裂に終止符を打つことができますように。

平和をリビアのために願いましょう。この不条理な流血の惨事とあらゆる野蛮な暴力を止め、この国の未来を心にかける人々が、和解の促進と、人間の尊厳が尊重される兄弟愛に満ちた社会の構築のために働くことができますように。イエメンにおいても、すべての国民の善のために平和を求めるよう、社会の意思が高まりますように。同時に、先日のローザンヌでの協議の合意を、希望と共に憐れみ深い主にゆだねます。これがより安全で兄弟愛ある世界に向けての確実な一歩となりますように。

復活の主にナイジェリア、南スーダン、スーダンの多くの地域、そしてコンゴ民主共和国に平和の恵みを願いましょう。ケニアのガリッサの大学で先週木曜日に殺害された若者たちをはじめ、命を失ったすべての人、また拉致された人、自分の家や親しい人たちを後に残さざるを得なかった人たちのために、善意の人々の祈りが上がっていきますように。

主の復活が愛するウクライナに、特に最近の紛争の暴力に巻き込まれた人々に、光をもたらしますように。同国が当事者間の努力によって平和と希望を再び見出すことができますように。

犯罪的な人々や組織によって新旧の隷属状態に置かれている多くの人々に平和と自由が与えられますように。麻薬売買の犠牲者に平和と自由がありますように。麻薬売買人は人類家族の平和と調和を守るべき権力者と時に結びついています。武器商人に支配されるこの世界に平和を求めましょう。

多くの場合、拒絶され、冷たい扱いを受け、見棄てられている、疎外された人、受刑者、貧しい人、移民たち、また病者や、苦しむ人々、特に暴力を受ける子どもたち、喪に服している人たち、そしてすべての善意の人々に、主イエスの慰めの声が届きますように。「あなたがたに平和があるように」(ルカ 24,36)と。

『恐れてはならない、わたしは復活し、いつもあなたがたと共にいる』








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