2015-04-02 21:00:00

聖木曜日:教皇、ローマの刑務所で主の晩餐のミサ


教皇フランシスコは、4月2日夕、ローマ市内の刑務所で「主の晩餐のミサ」を捧げられた。

復活祭を前にした聖木曜日の午後、カトリック教会の典礼暦はその1年の頂点となる「聖なる過ぎ越しの3日間」に入った。

主の晩餐の夕べのミサは、キリストが最後の晩餐の中で聖体とミサ聖祭、司祭職を制定したことを思い起こすもの。

また、このミサでは、キリストが最後の晩餐の前に、自ら弟子たちの足を洗い、互いに愛し合い、奉仕し合うよう自ら模範を示したことにちなみ、「洗足式」が行なわれる。

この日の夕方、ローマのレビッビア刑務所を訪れた教皇は、敷地内で数百人の受刑者らをはじめ、刑務官や、ボランティアたちの歓迎を受けられた。教皇は受刑者一人ひとりの手を取り、言葉をかけ、祝福を与えられた。

施設付属の教会でとり行われたミサでは、「際限なく、ご自分の命を与えられるまでに愛される神」を説く教皇に、受刑者たちは真剣な眼差しで聞き入った。

「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13,1)という福音の言葉を教皇は引用。

「イエスはわたしたちを愛されます。イエスの愛には限界がありません。その愛はますます大きくなります。わたしたちを愛されるがために、ご自分の命までも差し出されました」

「イエスはわたしたちのため、わたしたちの一人ひとりのために命を捧げられました。ですから、わたしたちは誰もが、『イエスは自分のために命を捧げられたのだ』と言うことができるのです。イエスはあなたにも、そしてあなたにも、また彼にも、苗字と名前を持ったわたしたち一人ひとりのために、ご自分の命を与えられたのです」

「イエスはわたしたち一人ひとりを愛し抜かれました。これが皆さんに一番伝えたいことです」

このように教皇は受刑者一人ひとりを見渡すように話された。

また、このミサ中に行う洗足式の意味を教皇は説明。

「イエスの時代、人々は家の入口で足を洗う習慣がありました。当時の道は舗装がなく、足が土や埃で汚れていたためでした。しかし、足を洗うのは家の主人の仕事ではなく、奴隷の仕事でした。イエスはしもべのように弟子たちの足を洗い、ペトロに『わたしのしていることは、今はあなたに分かるまいが、後で、分かるようになる』(ヨハネ 13,7)と言われました。イエスの大きな愛は、わたしたちに仕え、わたしたちを癒し、清めるために、自らをしもべとされるほどでした」と教皇は述べられた。

教皇は12人の受刑者の足を洗うにあたり、これらの兄弟姉妹は皆さん全員の代表であると強調。

「わたしもまた主に洗ってもらう必要があります。ですから、主がわたしの汚れを清め、ますます皆さんのしもべとなれるよう、イエスのように、より人々のしもべとなれるよう祈ってください」と教皇は皆に願われた。

こうして、教皇は跪き、国籍も様々な男性6人、女性6人の足を洗われた。








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