2014-12-26 17:20:00

ピタウ大司教死去:「日本における寛大な宣教」教皇、弔文で


日本の上智大学およびローマの教皇庁立グレゴリアン大学の学長、バチカン教育省の局長を務めたイエズス会士、ジュゼッペ(ヨゼフ)・ピタウ大司教が、26日、86歳で帰天した。
 
教皇フランシスコは、イエズス会のアドルフォ・ニコラス総長に宛てた弔文で、「福音のために模範的に司祭職を生きた」ピタウ大司教を思い起こされた。
 
教皇は、特にピタウ大司教が日本において寛大に宣教師として使徒的奉仕をし、日本の地で亡くなったことを心に留めると共に、教皇庁教育省局長、また上智大学、グレゴリアン大学の学長として果たした任務、イエズス会における貢献について言及。ピタウ大司教の冥福を心から祈られた。
 
ピタウ大司教は、1928年、イタリア・サルデーニャに生まれた。1945年、イエズス会入会。1952年、バルセロナ大学哲学科を卒業と共に、29歳で日本に派遣された。1959年、上智大学大学院神学研究科を修了。同年、司祭叙階。この後、渡米、ハーバード大学大学院政治学研究科修了。1963年より、上智大学法学部で教鞭をとり、理事長を経て、1975年~81年、学長を務めた。1981年2月、教皇ヨハネ・パウロ2世来日の際には、通訳・案内を行なった。
 
1981年、当時のイエズス会総長ペドロ・アルペ神父の病状より、ヨハネ・パウロ2世は、パオロ・デッツァ神父をイエズス会における教皇の代理者、その補佐として、ピタウ神父を任命。このためにピタウ神父は、長年を過ごした日本を後にし、ローマに戻った。1983年、ピーター・ハンス・コールベンバック新総長が選出されると、ピタウ神父は総長顧問となった。1992 年~1998年、教皇庁立グレゴリアン大学学長。また、教皇庁科学アカデミーおよび社会科学アカデミー事務局長を務めた。1998年、教皇庁教育省局長に任命されると共に、大司教となった。
 
2003年、教育省を定年引退。翌年、日本に戻ってからは、小教区で協力司祭として奉仕。2014年12月26日、東京のロヨラハウスで亡くなった。
 
バチカンの広報局長でイエズス会士であるフェデリコ・ロンバルディ神父は、バチカン放送局のインタビューの中で、ピタウ大司教を「偉大な、宣教者、イエズス会士、教会の奉仕者」として振り返った。
 
同神父は、特にピタウ師が若くして派遣された日本で、大きな宣教精神のもとに、現地の文化に溶け込み、日本社会と非常に前向きな関係を築き、学生闘争の難しい時代も上智大学の教授、学長として同大の権威ある運営に貢献したことを回顧した。
 
また、上智大学に続き、ローマのグレゴリアン大学学長やバチカンの教育省局長を歴任するなど、ピタウ師の教育界における豊かな経験にも言及。
 
そして、ピタウ大司教が強く結ばれていた日本と日本人との絆を指摘しながら、その気さくで微笑を絶やさない人柄をもって、日本人だけでなく、出会うすべての人々との豊かな関係を築いた熱心な宣教者・使徒としてのピタウ師を思い起こした。







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