2014-10-13 15:58:55

教皇フランシスコ:「神は全ての人を招かれる」
日曜正午アンジェラスの祈り(2014.10.12)


10月12日日曜日正午のアンジェラスの祈りにおいて教皇はこの日曜日のミサの福音朗読のキリストのたとえ話しからテーマを取り、神は「救いの宴」に全ての人々を区別なく招いていると話された。また聖母への祈りの後イタリアのサルデーニャ島出身の新福者アルジェリアで殉教したコンヴェントゥアル・フランシスコ会神父フランシスコ・ジラーノ神父の生涯に触れ、キリストの福音に忠実であるために,その生命をも惜しまない新福者の堅い信仰に習おうと話され、最後に北イタリア・ジェノバ市を襲った洪水の犠牲者たちを思い起こし、聖母の保護を祈られた。教皇の話は次の通り。


親愛なる兄弟姉妹の皆さんこんにちは、
今日のこの日曜日のごミサの福音朗読の中で、イエスはたとえ話をつかって「神の招きとそれに対する人々の答え」について語っています。たとえ話の中で神はその息子のために婚宴を準備する王にたとえられています。王の招待は「無償」「広範囲」そして「普遍的」と言う3つの特徴を持っています。
婚宴に招かれた人々は大勢です。しかし驚くべきことに誰も招きに応じるものはいませんでした。
ある人々は別にやるべきことがあるからと言い、また他の人々は全く無関心、そしてさらに人によっては迷惑だとさえ感じるのでした。
しかし神はわたしたちに対していつも善良です。わたしたちにその友情を「無償で」「ただで」提供してくれます。その喜びをその救いを「ただで」下さるのです。しかし, わたしたちは自分自身の利益を優先してしばしば神からの贈り物を拒否します。神がわたしたちの心の中で呼びかける時、多くの場合それをわずらわしいものとみなすことすらあります。

たとえ話の中では招待されたある人々は、王からの使者を虐待し挙句の果てには殺害すらします。しかし、招待に答えるものがいなくても王の計画は中断されません。招待者の最初の拒否にあっても神はひるむことはありません。婚宴を中止することもありません。かえって招待の輪をますます「広げて」行きます。王なる神はその使いを街々の広場や大路小路に、出会う全ての人々を宴席に招くために送り込みます。誰でもかれでも、貧しい人々も、見捨てられた人々も、逃亡者も善人も悪人も、悪人たちすら区別なく招かれます。婚宴の席は一杯になります。
キリストの福音はある人々からは拒否されますが、一方他の多くの人々からは受けいれられるのです。

神の憐れみには限りがありません。誰をも除外しません。ですから主の婚宴は「普遍的」だというのです。 全ての人々のためです。全ての人々が招かれています。誰も自分だけが招かれているのだと自負することは出来ません。このことは、かつてファリザイ人や司祭長たちがしたような自分自身を皆の中心に置こうとの思いに打ち勝たせてくれます。これは極力避けなければなりません。わたしたちはいつも外に、郊外に向かって開かれているべきです。外側にいる人々、疎外されている人々、社会から軽蔑され放り出されている人々こそ神の寛大さの対象だと認めなければなりません。
わたしたち皆が呼ばれています。神の国を狭めて小さなものにしてはなりません。教会を神の国のようにますます大きく広げていきましょう。神の婚宴に入るために一つだけ条件があります。それは婚宴用の礼服を身に着けるということ、すなわち、具体的な愛を神と隣人に証しするということです。







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