2014-07-23 18:43:40

聖職者による未成年虐待は冒涜行為、教皇ミサ説教



教皇フランシスコは、7月7日、バチカンのサンタ・マルタ宿舎における朝のミサに、司祭による未成年虐待の被害者を招かれた。このミサの説教で、教皇は聖職者による未成年虐待を厳しく非難し、被害者らに謝罪の言葉を述べられた。教皇の説教は以下のとおり。

********

今日、こうして皆さんと、多くの男性・女性、少年・少女の皆さんと眼差しを交わしながら、わたしの心には、過酷な裁判を終えたイエスと会い、眼差しを交わし、泣いた、あのペトロの姿が浮かんできます。そして、今、わたしははイエスの眼差しを見るように感じ、その祈りを心から懇願するのです。教会が自分の使命を裏切り、罪のない人々を虐待したことを泣き、償いますように。わたしは今日、皆さんがここにおいでくださったことを心から感謝しています。

以前から、わたしは耐え難いほどの痛み、悲しみを心に感じていました。イエスはすべてをご覧になっていたと誰かが気づき、勇気をもって訴え出るまで、長い間隠蔽され、共犯的に誤魔化され続けたこの事実を悲しみます。涙を流し始めたあの少数の人々が、この犯罪、この大罪に対するわたしのたちの良心を揺り起こしました。

ある司教や司祭が未成年に対する性的虐待によって、子どもたちの純真さを冒し、自らの司祭職の召命を汚したことに、わたしは苦悩します。これはまさしく冒涜行為です。なぜなら、これらの子どもたちは神に導かれるべく司祭たちに委ねられているにも関わらず、彼らの欲望のために偶像の生贄とされてしまったからです。彼らは神の似姿そのものを冒涜したのです。わたしたちは皆、神の似姿として創造されたのですから。

幼児期が貴重であるのは周知のことです。これほどにも開かれ信頼に満ち、神の愛の神秘を観想する若い心は、信仰において特別な方法で養われるべきです。今日、教会の心は、これらの子どもたちにイエスの眼差しを見、泣くことを望んでいます。そして幼い子らに対して犯された、この忌まわしい犯罪を前に泣くという恵みを願うのです。これは生涯にわたり傷を残すおぞましい罪です。

皆さんの受けた傷は、精神的・霊的に癒しがたい苦しみ、絶望のもととなっていることを、わたしはよく知っています。この種の体験を被った人の多くは、何とか心の埋め合わせをしたいと努力します。ある人々は両親や、配偶者、子供たちとの人間関係に大きな支障をきたします。生活そのものを害するこのような犯罪の被害者の家族は、非常に大きな苦しみを体験します。

ある人々は愛する人の自殺という恐ろしい悲劇の苦しみを体験しました。これらの愛すべき神の子らの死は、わたしの心、わたしの良心、そして全教会の良心の上に重くのしかかっています。これらの家族にわたしの心からの愛と痛みを捧げます。憎悪によって裁かれ拷問されたイエスは、他の場所に引き立てられて行きながら、自分を裏切った弟子の一人を見つめ、そして涙にくれさせます。わたしたちも一緒に償いの恵みを願いましょう。

聖職者たちによる未成年者への性的虐待の罪は、信仰と神への信頼を完全に打ち壊します。ある人たちは信仰に支えを求め、一方で神への信仰そのものを捨て去る人もいます。皆さんが今ここにおられるということは、闇に打ち勝つ希望の奇跡を物語っています。これは疑いもなく、神の憐れみのしるしです。主を礼拝し、和解の恵みを求めましょう。

聖職者によって犯された皆さんに対する性的虐待の犯罪に、神とその民の前でわたしは深い苦しみを味わい、心から赦しを請います。また、この件に関して、虐待を受けた本人やその家族たちからの訴えに対し、必要な手段を講じなかった教会の指導者たちの怠慢の罪についても許しを願います。この怠慢は犠牲者たちにさらなる苦痛を加え、のみならず、同じような状態に置かれた他の子どもたちをも危険に陥れたのです。

皆さんとその協力者たちが示した真理の解明への勇気は、実に愛の奉仕でした。なぜなら、それによって教会の生命を蝕む、恐るべき闇を明らかにしたからです。性的虐待を犯す人々のために、教会の役職にはいかなる場もありません。その聖職位階が何であれ、この種の害をもたらした者には、わたしは容赦なく対処するよう努力します。すべての司教は子どもたちの保護に最高の配慮を払うべきであり、これについての責任を自覚すべきです。

つまずきを与える者たちは大きな石臼を首につけられ海に投げ込まれる方がましだと言うイエスの警告は(マタイ18,6)、わたしたち皆にとって有効な警告です。

司祭職の準備をしている人々への注意も続行しましょう。わたしは教皇庁未成年保護委員会のメンバーたちに大いに期待しています。すべての子どもたちはいかなる宗教に属していても、主が愛をもって見守っている子どもたちです。この委員会があらゆる面でわたしの助けとなってくることを期待し、願います。わたしたちは、教会の中でこのような犯罪がもう二度と繰り返されることのないよう、可能な限りの手段を講じなければなりません。

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは皆、神の家族の一員ですから、神の憐れみの精神をも持たなければなりません。わたしたちの主、救い主イエスは、その最高の模範です。イエスは何の罪もないのに、わたしたちの罪を十字架上まで負ってくださいました。和解し合うことは、キリストに従う者たちの共通の特徴です。キリストに向かい、聖母マリアと共に十字架の下に行き、神の民全員との和解の恵みを願いましょう。憐れみの聖母の取次ぎは、わたしたちの癒しのための汲みつくせない源泉です。

聖職者たちから性的虐待を受けた皆さん、またすべての被害者は、神から愛されています。あなた方を傷つけ、心の中に深く残った暗い傷が、幼子イエスの抱擁によって癒され、受けた害の代わりに、信仰と新たにされた喜びが入り込むよう私は祈ります。

この出会いに心から感謝します。わたしの心の目が、いつも憐れみの愛の道をはっきりと見つめることができますように、そして、子どもたちの善のために、神がわたしにこの道を進む勇気を与えてくださいますように。

不正な裁き、残酷な尋問からイエスは出てきます。イエスはペトロの目を見つめます。そして、ペトロは泣きます。わたしたちも願いましょう。イエスがわたしたちを見つめ、わたしたちも彼を見つめ、そして泣くことができるようにと。そして、恥じるという恵みもくださいますように。聖ペトロのように、40日後、イエスに答えることができますように。「あなたはわたしたちがあなたを愛していることを知っています」と。主の声をも聴くことができますように。「あなたの道に戻りなさい、そしてわたしの羊を牧しなさい。いかなる狼もわたしの羊の群れに入らせてはなりません」と。








All the contents on this site are copyrighted ©.