2014-06-19 15:56:58

教皇一般謁見・カテケーシス・聖霊の賜物⑥孝愛(2014.6.4)


親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日は、聖霊の賜物の中でも、しばしば誤解されたり、表面的に解釈されながらも、実はわたしたちキリスト者のアイデンティティー、キリスト教生活の奥深くに関わる、「孝愛」の賜物について考察したいと思います。
まずはっきりすべきことは、この賜物が誰かに同情を寄せたり、隣人を憐れむことではなく、わたしたちの神へも帰属、神との深い絆を示すものだということです。その絆は、たとえ大きな困難や苦悩の中にあっても、わたしたちの生活全体に意義を与え、神との交わりの中にわたしたちをしっかりと支えてくれるものなのです。

1.主とのこの繋がりを、義務や命令のように考えてはいけません。それは内から湧き出る絆です。心でもって生きる関係です。それはイエスから与えられた、わたしたちと神との友情です。それはわたしたちの生活を変え、熱意と喜びで満たしてくれる友情です。ですから「孝愛の賜物」は、わたしたちに何よりも感謝と賛美をひきおこします。実際、これこそが、わたしたちの崇敬と礼拝の正真の意義であり、動機なのです。聖霊が主の現存とわたしたちに対するそのすべての愛を感じさせる時、わたしたちの心は温められ、ほとんど自然に祈りと賛美に向けられます。ですから、「孝愛」は真の宗教心、神に対する子としての信頼、そして心の謙遜な人々の特徴である、愛と単純さをもって祈る能力と同義語だとも言えるのです。

2.「孝愛の賜物」が神との絆と交わりのうちにわたしたちを成長させ、神の子として生きるよう導いてくれるならば、同時にこの愛を他の人にも注ぎ、彼らを自分の兄弟として認めるのを助けてくれます。毎日出会う多くの人々に、敬虔ぶることなく、この「孝愛」の精神で接するようしましょう。なぜこのように言うのでしょうか。なぜなら、「孝愛」を持つと言うことは、目を閉じて、まるでご絵のような表情を作り、聖人のような振りをすることだと思い込んでいる人がいるからです。これは本当の「孝愛」の賜物ではありません。孝愛の賜物とは、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣き、苦しむ人や孤独な人の傍らに留まり、過ちの中にいる人を正し、悲嘆する人を慰め、困っている人を助ける能力を持つことです。孝愛の賜物と柔和との間には、非常に緊密な関係があります。聖霊が与える孝愛は、わたしたちを柔和で、落ち着いた、忍耐強い、神との平和のうちに他人に奉仕する者とするのです。

親愛なる友人の皆さん、使徒パウロはローマの教会に宛てた手紙の中でこのように言っています。「神の霊によって導かれる人は誰でも皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥らせる霊を受けたのではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって、わたしたちは「アッバ、父よ」と叫んでいます」(ローマ8,14-15)。恐れや不安、落ち着きの無い心や忍耐の不足にうち勝ち、神とその愛の喜ばしい証人となれるよう、主にその霊の賜物を願いましょう。そして、真理の中に主を礼拝しつつ、聖霊が喜びのうちにいつも与えてくれる柔和と微笑みをもって、隣人に奉仕できますように。聖霊がわたしたち皆にこの「孝愛の賜物」を与えてくださいますように。









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