2014-04-19 16:48:07

聖金曜日:コロッセオで十字架の道行き


18日、キリストの十字架上での死を記念する聖金曜日、教皇フランシスコは、「主の受難の儀式」と、「十字架の道行き」をとり行なわれた。

夕方、聖ペトロ大聖堂で行われた「主の受難の儀式」では、教皇庁の説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父の説教と、「十字架の崇敬」が行なわれた。

続いて夜には、教皇はローマ市内のコロッセオで「十字架の道行き」を主宰された。

十字架の道行きは、キリストの受難を黙想しながら行う信心業。イエスが死刑の宣告を受けてから、十字架上で最後を遂げ、墓に葬られるまでの過程を、14の場面に分け、各場面ごとに黙想し、祈る。

教皇と共に行なう十字架の道行きには、毎年参加者の黙想を助けるためのテキストが用意される。今年は南イタリア・カンポバッソのジャンカルロ・ブレガンティーニ大司教がこれを執筆。「キリストの顔、人間の顔」をテーマに、世界の様々な悲劇や、経済危機が及ぼす影響、南イタリアの問題など、現代の世相を見つめ、キリストと共に、また人々と共に苦しみながら、復活の希望と力を求める内容となった。

コロッセオやフォロロマーノの遺跡群が闇に浮かび上がる中、ろうそくを手にしたおよそ4万人の信者たちが、キリストの受難の黙想に参加した。教皇フランシスコは、コロッセオの向かいの丘に設けた祈祷台で祈りを続けられた。

14留ある十字架の道行きでは、ローマ教区教皇代理司教アゴスティーノ・ヴァッリーニ枢機卿に始まり、労働者と企業家、移民、ホームレス、受刑者、若者、家族、高齢者、障害者たちが、交代しながら十字架を掲げた。

説教で教皇は、人類の罪のすべての重みを背負った十字架上のイエスの姿を観想。その十字架のもとに、悪に囚われた人間の恐ろしさと、神の無限の憐れみの両方を見るのであり、イエスの十字架を前に、わたしたちは永遠に愛されていることをはっきりと知る、と述べられた。

教皇は最後に、病者たちのために、そして十字架の重みの下にいるすべての人々のために祈るよう皆を招かれた。








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