2014-03-20 18:48:32

聖ヨセフをテーマに、教皇一般謁見


教皇フランシスコは、19日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

典礼暦で聖ヨセフを祝ったこの日は、教皇フランシスコの教皇職開始ミサから、ちょうど1年を迎えた日でもあった。謁見会場の聖ペトロ広場には、およそ6万人の巡礼者が詰めかけ、中には創立100周年を記念してバチカンを訪れた上智大学の使節団の姿もあった。教皇は巡礼者への言葉の中で、同大の使節にも挨拶をおくられた。

謁見中のカテケーシスで、教皇は保護者、教育者としての聖ヨセフをテーマに次のように講話された。

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日、3月19日は、マリアの浄配、普遍の教会の保護者、聖ヨセフの大祝日です。聖母マリアと御子イエスを守った聖ヨセフにわたしたちの崇敬を込めて、このカテケーシスを聖ヨセフに捧げたいと思います。

保護者であること、これがヨセフの本質です。彼の偉大な使命、それは保護する者となることでした。

今日は保護するというテーマを、特に教育という観点からとらえてみたいと思います。そして、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と福音書にあるように、イエスの成長の歩みを共にし、それを見守ったヨセフを、教育者の模範として見つめましょう。ヨセフはイエスの父ではありませんでした。イエスの父は神だからです。しかし、ヨセフはイエスを育てるために父親を務めました。彼はイエスをどうやって育てたのでしょうか。それは、それは、知恵と、年齢的な成長と、恵みにおいてでした。

まず、これらの中で最も自然的側面である、心身の年齢に準じた成長という点について考えましょう。ヨセフは、マリアと共に、特にこの点においてイエスを育てました。イエスの健やかな成長に何も欠けるものがないようにと配慮しながら、イエスを育て上げたのです。エジプト逃避の際、ヨセフが幼子の命を大切に守ったことを忘れてはなりません。それは難民として生きるという辛い体験でした。この時、ヨセフはマリアとイエスと共に、ヘロデの脅威から逃れるために、難民を体験したのです。そして、祖国に戻ってからは、イエスの家庭における生活はずっと長い間ナザレにありました。この期間、ヨセフはイエスに自分の仕事をも教えました。イエスは父ヨセフと一緒に、大工の仕事を覚えたのです。ヨセフはこうしてイエスを育てました。

次に知恵という点から、イエスの教育を考えましょう。神の御言葉に培われたヨセフは、イエスにとってこの知恵の模範であり師でした。ヨセフが少年イエスに聖書に耳を傾けることを教え、安息日には、ナザレの会堂にイエスを連れて行きました。ヨセフはイエスが神の言葉に耳を傾けるようにとユダヤ教会堂にイエスを伴ったのです。

そして、最後に恵みと言う点から考えてみましょう。聖ルカはイエスについてこう記しています。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(2,40)。ここでは聖ヨセフの果たしている役割は目立たないかもしれません。しかし、父と母が子どもたちを神の恵みのうちに育てることに関係していないと考えるのは誤りです。年齢に応じた成長と、知恵と、恵みのうちに育つことを助けること、これがイエスのためにヨセフがした仕事でした。

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このように聖ヨセフを教育者、父の模範として示された教皇は、世界のすべてのお父さんたちに励ましの挨拶をおくると共に、すべての信者たちにそれぞれの父親を思い起こし、彼らのために祈るよう招かれた。








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