2014-02-07 17:54:39

四旬節に向けて教皇メッセージ、福音的な貧しさへの招き


今年の四旬節に向けて、教皇フランシスコのメッセージが発表された。

四旬節とは、「灰の水曜日」に始まり、復活の主日まで、日曜を除いて40日間続く、復活祭前の準備期間。2014年は3月5日が「灰の水曜日」にあたり、復活の主日(復活祭)は、4月20日。

祈りと償いの時である四旬節をより有意義に過ごすために、毎年、教皇は信者らにメッセージを託される。

今年度の四旬節メッセージのテーマは、「主は貧しくなられた。ご自分の貧しさによって、わたしたちを豊かにするために」(参考:2コリント8,9)。

教皇はこのメッセージを通し、福音的な貧しさへの招きが、今日のキリスト者に語りかけるものとは何かを考察されている。

「神は、世の権力や富を通してではなく、弱さや貧しさを通してご自分を表されます」、「神の永遠の御子キリストは、神と同等の力と栄光の中にありながら、わたしたちのために自らを貧しくされました。神の受肉の神秘は偉大です」と教皇は「神のスタイル」を改めて指摘。

わたしたちのために貧しくなられた神、それは恵みと寛大そのものであり、人々の近くにいて、愛する被造物のために自らを犠牲にすることを厭わない、神の愛ゆえである、と説かれた。

「愛とは、愛する者のすべてを分かち合うこと。愛は似た者とし、平等を生み、壁や距離を打ち破ります。神がわたしたちになさったのはこのことです。」

「イエスが自らを貧しくされた目的は、貧しさ自体にあるのではなく、聖パウロの言うように、それはご自分の貧しさによって、わたしたちを豊かにするためでした。それは言葉の遊びではなく、神の論理、すなわち愛と受肉と十字架の論理を要約したものです。」

「人が博愛主義から余分に持っている物を施すように、神はその救いを高いところから投げ与えたりはしません。これはキリストの愛ではありません。イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けるためにヨルダン川の水に降りたのは、悔い改めと回心が必要だったからではなく、赦しを求める、わたしたち罪びとたちの間に入るためでした。」

「イエスがわたしたちを自由に、豊かにする、その貧しさとは何でしょうか。それはまさにイエスのわたしたちに対する愛し方、道端で瀕死の状態でいる人に近寄った善きサマリア人のように、わたしたちに寄添う姿です。わたしたちに真の自由と、救い、幸福を与えるのは、同情と優しさ、分かち合いのあるイエスの愛です。」

このように記された教皇は、貧しさを通して人を救う主の業にわたしたちも参与するよう招いておられる。

「師に倣い、わたしたちキリスト者は兄弟たちの惨めな状況に目をむけ、彼らに触れ、その重荷を分かち合い、苦しみを軽減するために働くよう招かれています。」

「惨さと貧しさは同じではありません。惨めさとは、信頼や連帯、希望のない貧しさのことです。惨めな状況には3つの種類があります。物的なもの、道徳的なもの、精神的なものです。」

こうして、教皇はこの四旬節に、惨めな状況に置かれた人々に福音のメッセージを証しし、キリストを通してすべての人々を抱擁する憐れみ深い神の愛を伝えるよう願われている。

また、四旬節を「自分を脱ぎ捨てる」時とし、自分の貧しさを通して、人々を助け豊かにするために、自分の中で何を犠牲にできるかを、悔い改めの精神のもとに考えるよう、教皇は勧めておられる。








All the contents on this site are copyrighted ©.