2014-01-09 18:53:19

主の公現:教皇「光に導かれ、キリストという偉大な光に出会う」


教皇フランシスコは、6日バチカンで、「主の公現」の大祝日のミサを捧げられた。

「主の公現」とは、神の御子イエス・キリストが公に人々の前に姿を現されたことをいう。異邦人である東方三博士の訪問に代表されるように、イエスを通して神の栄光がすべての人々に現れたことを祝う。

ミサ中の説教で教皇は、マタイ福音書2章に語られる、東方三博士が星を追って幼子イエスと出会うまでの歩みを観想。空に現れた星は博士たちの心に光を灯し、その光はキリストの偉大な光を求める旅に彼らを導いたと話された。

東方の博士たちの道のりは、すべての人々の運命を象徴していると教皇は述べ、わたしたちの人生は、道に射す光に照らされながら、真理と愛の充満を求めて歩むことであり、キリスト者はその愛と真理を世の光であるイエスの中に見出すと説かれた。

教皇は福音書の記述から、博士たちがエルサレム、特にヘロデの宮殿においていったん星を見失っていたことに注目。それはヘロデの宮殿が闇や不信、恐れや妬みに支配されていたからであり、実際ヘロデはユダヤ人の王として生まれたという幼子を自分のライバルと思い怖れていたと指摘された。

そして、支配や成功、所有や腐敗の上に築かれた世界に立つ王とその取り巻きは、この幼子によって彼らの権力が覆されることを怖れたがゆえに、ベツレヘム周辺の幼子を一人残らず殺害するに至ったと、教皇は語られた。

その後、ベツレヘムに向かった博士たちは、再び見つけた星の導きで幼子に会い、大きな喜びに満たされた。幼子を礼拝した彼らは、夢のお告げに従って、ヘロデのところには戻らずに、別の道を通って帰っていった。

教皇は博士たちを導いた光を「聖なる賢さ」と呼び、このエピソードから闇の世界を避け、信仰を守る術を学ぶよう招かれた。

この主の公現の祝日、幼子として人々の前にご自分を表されたイエスと共に、その横にいる博士らを信仰の道のりの「賢明な同伴者」として心に留め、外見の世界に惑わされず、眼差しを星に向け、神から来る真・善・美を追い求める彼らの模範を自分たちの信仰の助けとするよう、信者らに勧められた。








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