2013-12-20 19:28:02

2013年12月18日 一般謁見教皇談話
「イエスは私たちと共なる神」


12月18日水曜恒例の教皇一般謁見は雲ひとつなく晴れ渡ったローマ特有の青空の下,バチカン聖ペトロ広場で 3万人以上の参加者を得て行われた。

謁見開始の4時間も前の6時30分頃から,世界各国から教皇を見、そしてその話に耳を傾け祝福を受けようとやって来た巡礼者たちで一杯になった。
教皇フランシスコはいつものように定刻30分前の10時ごろから真っ白なオープンカーに乗って広い会場をくまなく回り,巡礼者たちに心からの微笑と挨拶をおくられた。
教皇はこの日のカテケシス(教会の教えの解説)ではキリストの降誕の意味について次のように話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
今日のこの一般謁見はまさしく待降節の雰囲気の真っ只中で行われています。後降誕祭準備の「九日間の祈り」も順調に進んでいます。ますますクリスマスの雰囲気を盛り上げているようです。ですから今日は皆さんと一緒にイエス様の誕生「クリスマス」について考えてみたいと思います。クリスマスはあらゆる悲観主義と不安を凌駕する信頼と希望の祝日で。私たちの希望の理由はこれです。「神は私たちと共におられます。そして、神はまだ私たちを信頼してくれています」。皆さんはこのことをよく考えていますか。神は私たちと共にいて、まだ私たちを信頼しています。 私たちの父、神は寛大です。神は人々と共に住むために来られます。人間と共にいるために、そして人間がその喜びと苦しみの日々を過ごす場にご自分もいるために、ご自分の住まいとしてこの地を選ばれます。もうこの地は単なる「涙の谷」ではありません。神ご自身がその住まいとなる幕屋を張られた場所、神と人との出会いの場、神と人との連帯の場となったのです。
神はイエスにおいて私たちと一つになるほどに私たちの状態を分かち合うことを望まれました。しかしもっと驚くべきことがあります。人々の間における神の現存は理想的で牧歌的な方法でではなく分裂や悪意、貧困、横暴そして戦争に満ちた全く現実的なこの世界の中で実現しました。神はその限界と悲劇の全ての重荷をを引きずった私たち人間のあるがままの歴史を生きることを望まれました。このようにして神は人類に対する愛と憐れみに満ちたそ謙りくだりをこの上もない方法で示されたのです。神は私たちと共にいる神です。イエスは私たち共なる神です。皆さんはこのことを信じますか。今皆で一緒にこの信仰告白をいたしましょう。「イエスは私たちと共なる神です」。
歴史の苦しみにおいても 痛みにおいてもイエスはいつも、私たちと共なる神です。
イエスのご降誕は、神が私たちを救うために、惨めさの塵の中から,困難から,罪から私たちを引き上げるために人間の側に決定的に立たれたということを示しているのです。
ここからベトレヘムの幼子の大きな「贈り物」が届くのです。幼きイエスは私たちに私たちの疲労や絶望や悲しみに私たちが飲み込まれないように私たちを助ける霊的なエネルギーをもたらします。なぜならそのエネルギーは私たちの心を暖め変革させるものだからです。イエスの誕生は事実私たちに私たちが神から特別にそして無限の愛で愛されているという素晴らしい便りをもたらしてくれるのです。そしてこの神の愛はわたしたちにそれを分からせるだけではなく、それをわたしたちに与え、分かつのです」。








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