2013-11-07 18:51:58

「聖なるものの分かち合いを通して教会を築く」教皇一般謁見


教皇フランシスコは、バチカンで6日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇は先週同様「聖徒の交わり」をテーマにカテケーシス(教会の教えの解説)を続けられた。

使徒信条中の「聖徒の交わり」という言葉には、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」という2つの意味がある(『カトリック教会のカテキズム』n. 948)。

教皇は今回、特に「聖なるものの分かち合い」と言う点から「聖徒の交わり」を考察。「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」は緊密に結びついており、実際、キリスト者間の交わりは「秘跡」「カリスマ」「愛」といった霊的遺産を通して育まれるものと説明された。

「秘跡」とは表面的な儀式ではなく、それはキリストの力であり、その中にイエス・キリストがいることを忘れないよう教皇は指摘。

「わたしたちは、洗礼や、堅信、聖体の秘跡を通してキリストの一部となり、信者の共同体に一致します」「教会が秘跡を行う一方で、秘跡は教会を築きます。秘跡は新しい子らを生み出し、神の民をまとめ、その帰属を確かなものにするのです」と、秘跡がキリスト者の交わりに果たす役割を示された。

「カリスマ」は、聖霊によって信者たちに与えられた様々な霊的恵みや賜物であり、この想像豊かな賜物は教会の構築に必要とされるものと教皇は述べられた。

一人ひとりに与えられたこの恵みは、その人自身の利益のためにあるのではなく、神の民のために使われるべきものであり、もしそれが自分のためだけに使われるなら、それは真のカリスマではないか、あるいはそのカリスマを誠実に生きていないことになるとも話された。

「秘跡」「カリスマ」と同様、キリスト者の交わりに重要なものとして、教皇は3つ目に「愛(カリタス)」を挙げられた。

カリスマはキリスト共同体の生活に必要なものだが、それは愛の中に成長するための道具であり、愛なしではどのように素晴らしい賜物も無駄になると説かれた。

「もしわたしたちが皆エゴイストだとしたら、平和な共同生活が送れるでしょうか」と問われた教皇は、「そのためにもわたしたちを一つにする愛、カリタスが必要なのです」と強調。

愛における一致を生きるとは、自分の利益を追求することなく、兄弟たちの苦しみや喜びを分かち合い、弱く貧しい人々の苦しみを背負えることと述べられた。

わたしたちは心に潤いがなく無関心であるために、兄弟愛の代わりに不機嫌や冷たさ、利己主義を伝えてしまうことがよくあると教皇は注意を促し、キリスト者の召命をふさわしく生きるために、「秘跡」「カリスマ」「愛」のうちに主との交わりに心を開くことができるようにと祈られた。

「聖徒の交わり」をテーマにしたこの講話の最後に、教皇はこの日、難病を抱えた1歳半の女の子とその両親に会ったことを告げられ、洗礼を受け教会の一員であるこの女の子を思い、愛の業として神に助けを願いましょうと皆を招かれた。










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