2013-08-27 17:37:30

「イエスという扉から入ろう」教皇、日曜の集い


教皇フランシスコは、バチカンで25日、日曜正午のアンジェラスの祈りを信者と共に唱えられた。

集いの中で教皇はこの日の福音朗読箇所(ルカ13,22‐30)を取り上げながら、「救い」をテーマとした説教を行われた。

イエスがガリラヤからエルサレムに向かう途中、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と聞く人があった(同13,23)。これに対してイエスは、「狭い戸口から入るように努めなさい。入ろうとしても入れない人が多いからだ」と言われた。

教皇は、イエスの言葉の意味は何なのか、わたしたちはどの戸口から入るべきなのかを、考えるよう招かれた。

福音の中でしばしば登場する「扉」のイメージは、安心、愛、温かさを持つ家や家庭へと結びついていると教皇は指摘。イエスは神の家族の中に入っていくための扉があると述べているのであり、その扉とはイエスご自身にほかならない(ヨハネ 10,9)と説かれた。

「イエスの扉は救いへの通り道、イエスはわたしたちを御父に導く」「イエスであるその扉は、一切の区別・除外なしにすべての人に常に開かれている」と強調された教皇は、「人生の中で悪い行いをしたために、罪深い自分には、救いの扉は閉ざされているだろう」と考える人こそ、イエスはその人を愛し赦すために両腕を広げて待っておられると話された。

わたしたちはつかの間の幸せを謳う多くの扉の前を通るが、自分がどの扉から入るべきか、また自分の人生の扉に誰を入れるべきかをよく考えなくてはならないと教皇は述べ、イエスにおける信仰の扉から入ると共に、自分の生活の中にイエスを迎え入れ、エゴイズムや自分への閉じこもり、他人への無関心から脱していくよう信者たちを励まされた。











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