2013-07-29 18:25:06

イタリアのトニーニ枢機卿逝去、教皇「寛大で熱心な司牧者」


イタリアのラヴェンナ=チェルヴィア名誉大司教、エルシリオ・トニーニ枢機卿は、28日、療養先のラヴェンナで逝去した。99歳だった。

トニーニ枢機卿は、1914年、サン・ジョルジョ・ピアチェンティーノに生まれた。1937年、司祭叙階。ピアチェンツァ教区の神学校で教鞭を取り、青年司牧にたずさわると共に、1947年から教区新聞の編集長を務めた。1953年よりサルソマッジョーレの主任司祭。1986年、ピアチェンツァ教区神学校学長。1969年、マチェラータ=トレンティーノ司教。

1975年、ラベンナ=チェルビア大司教に。トニーニ大司教は、第2バチカン公会議後の変革期にある教区を積極的に導いた。大司教館内の住まいを、信仰による救いを求める薬物依存患者のグループに明け渡し、自分は難病患者を受け入れる聖テレジア病院の共同体に移り、患者たちのそばで生活した。

1978年、イタリアのカトリック紙「アヴェニーレ」の管理委員会議長となる。同年、一時期閉鎖されていたラベンナの神学校を再開させた。

1984年、薬物依存患者の更正医療センターを設立。翌年、ラベンナ教区新聞を刷新し、再開。労働者問題や経済至上主義に教会の社会教義を踏まえた勧告を行い、教区でブラジルの先住民の支援を行なった。教区カリタスを活性化し、高齢者や受刑者らに奉仕するボランティアのグループや、貧しい人々のための食堂を作った。

1987年、バチカンで開催された信徒をテーマにしたシノドスに参加。1990年にラベンナ大司教区の教区長引退後も、黙想指導や青年司牧、「アヴェニーレ」紙への執筆を続けた。
また、TV番組を通して教会の教えを説いた。

1994年、再びシノドスに参加。同年、教皇ヨハネ・パウロ2世より枢機卿に任命された。

教皇フランシスコは、ラヴェンナ=チェルヴィア大司教区関係者に宛てた弔電で、寛大で熱心な司牧者としてトニーニ枢機卿を思い起こしながら、その豊かで多岐にわたった使徒職を称賛。人々から愛された同枢機卿の冥福を心から祈られた。








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